今、企業が新たな資金 J を借り入れて設備を増やすものとする。それによって一定期間の後に得られる利益を Π で現すと、 Π=(α-rm)J がその資本家が手にする事のできる利益である。ただし α はその企業での資本の利益率であり、rm は金融機関の平均の貸し出し利子率である。即ち
α-rm ≧ rn ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(1)
と書くことができる。企業家の利益の下限はなにによって決まっているであろうか? 資金を借りる企業にとっては、金融機関から資金を利率 rm で借りて事業活動を行い、得られれる利益はその資金を他の金融機関に預けた場合に得られる預金金利より有利でなければならない。 従って、企業家の利益の下限 rn は平均の預金利子率である。
金融機関が貸し出すことのできる資金は預金者から預かった資金であるが、それを企業に貸し出して得られる利益は他の金融機関に預けて得られる預金金利より多いことは当然である。従って、金融機関の利益率の下限は平均の預金利子率である。
rm-rn≧ rn ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(2)
此の式と(1)式から rn 、rm とαに関する関係式が求まる。
α-rn≧rm≧2rn・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(3-1)
これらの関係式が正しいなら、
α≧(3/2)rm≧3rn・・・・・・・・・・・・・・・・・(3-2)
となり、平均の利子率の上限が求められる。
ところで此の利子率はなにによって決まるか?この点に関し、ケインズはそれまでの資金の需要と供給によって決まるとする均衡論とは違って、流動性選好利子論と呼ばれる、ある種の人間論を前提とした理論を提起した。均衡論は同時に総ての非消費所得は総て生産に回されるとすることを前提とするが、ケインズの「投資するか他の財貨の形態(例えば現金)でもっているかは個々人が選択的に決定する」という流動性選好利子論では、生産に回らない資金の存在を前提とする事になる。
ε/r=ε+ε/(r+Δr)・・・・・・・・・・・・・・・・・(4)
左辺は現金化したとき、また右辺は株券のまま保持したときのそれぞれの場合の財産の大きさである。両者が等しいときはどちらでもっていても同じである。此の式から次の関係式を導くことができる。
Δr=r2/(1+r)≒r2・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(5)
利子率が少し上昇したとしても、即ち、Δr < r2 である限り、現金で持っているより、株券で持っている方が有利である。Δr がマイナスなら、即ち何らかの方法で平均金利を 下げることができるなら、どのような時でも株券でもつ方が有利となる。これがケインズの流動性選好利子論の基礎にある考えであり、ケインズは利子率のこのような動向に対して、資金の増加によって利子率を下げるようにコントロールする事が景気拡大の方策であるとした。平均利子率に対する政府の政策的介入の根拠とされている。更に追加するならば、一度下げられた金利の水準を二倍に戻すためには、 1/r 年の期間を経てでなければ景気にマイナスの影響を与えるものであることも判る。
平均利子率を下げるための金融市場への政策的介入の方策は、政府による市場での債券の購入であり、そのための銀行券の増発である。債券の価格は上昇し、結果として平均金利は低下すると言うものである。
額面総価格ΔG0 の株券を購入しようとするとき、必要な資金はΔM=(ε/r)ΔG0 である。ΔG0 は株券の全発行額面額のΔG0/G0(=全資産 G に対する割合ではΔG/G )であり、さらに εG0=αG でもあるから、
ΔM=(ε/r)ΔG0=(ε/r)(G0/G)ΔG=(α/r)ΔG・・・・・・(6-1)
ΔM は株券ΔG0 の此の市場での評価額であるが、それはまた資産ΔG の評価額でもある。利益率αの小さい企業の資産は低く評価され、αの大きい企業の資産は高く評価されている。
此の式の積分形は次のように考えることもできる。実際に生産と消費の経済活動に参加している資本は G であり、利益は αG である。これに対応した利益を市場において金利 r で得ようとすれば、必要な資金の総量はその 1/r である。即ち、
M=(α/r)G・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(6-2)
(6)式において、平均の利益率αが一定の場合、その微分から次の興味ある関係式が求まる。
ΔG/G=ΔM/M+Δr/r・・・・・・・・・・・・・・・(7-1)
一般的に、上式の左辺を、資本の年間増加率と解釈すると、ΔG/G=δ[(ρ/η)χ+α]>0 であるから、上式の r の年間変化率としては、
Δr/r=δ[(ρ/η)χ+α]-ΔM/M・・・・・・(7-2)
となる。即ち、特別の手当をしなければ (ΔM=0 ならば)、平均の金利は年間 Δr>0 ずつ大きくなっていく。
資金 M の年間増加率ΔMc/M が資本G の年間増加率ΔG/G に等しい場合には金利水準も一定に収まるが、それは全体としては 次の関係式を満たす。
rc=ΔMc/M=ΔG/G=δ[(ρ/η)χ+α]<α・・・・・・・(8)
rc は国民所得の伸び率ΔY/Y=(α+χ)δ よりは若干大きいが、rc の目安としては所得の伸び率を基準としても大差ない値である。
rn<rc<rm≒r<α・・・・・・・・・・・・・・・・・・(9)
これらの利益率と利子率の制限は単一の経済圏の中でのことである。今日の日本資本主義では平均の利益率αは数%の水準に低下しており、個々の企業の業績のばらつきから推論すると、最近の数年間ではかなりの数の企業は赤字決算となっている。巨大企業でない限り実際の利益配分は不安定で不確実なものとなっている。
国際的な金融市場と連動している金融資本にとっては(9)式の制約は強制力を持たない( r は別の要因に支配されている)。国際的な資本自由化の場合には、その国の平均利子率よりも高い利子率の経済圏があれば、特別の障害がなければ資金はそこへ流出していくであろう。結果として自由化された世界の平均利子率は一つの値に収斂する。たとえその値がどこかの国の(9)式の範囲を超えたものであったとしてもである。利子率が低くてもなおもそこに留まっているとすれば、それは金融資本にとっては配当利益を期待してではなく、株価の投機的変動による利益の確保が可能だからである。
ΔMA=(αA/rA)hAΔGA・・・・・・・・・・(10-1)
ΔMB=(αB/rB)hBΔGB・・・・・・・・・・(10-2)
従って、「金」で測って同じ大きさの資本 ΔGA=ΔGB の場合に得られる利益から評価される資金の交換比率と貨幣の交換比率は次の様に現される。
(ΔMB/ΔMA)=(αB/αA)(rA/rB)(hB/hA)・・(11-1)
また、「金」で測って同じ大きさの資金ΔMB/hB=ΔMA/hA で買うことのできる商品はそれぞれの経済圏では同じではなく次のようになる。
(ΔGB/ΔGA)=(αA/αB)(rB/rA)・・・・(11-2)
資本の自由化によって、それぞれの利子率は rB≒rA≒r となるであろうが、平均利益率の異なる(αB≠αA)経済圏の間では資金の交換率は貨幣(商品の一種)の交換率に一致しない。利益率の高い経済圏の資本は資金市場では資金としては実際以上に高く評価され、低い利益率の経済圏の資本は実際以上に低く評価される。従ってまた(11−2)式の示すように、国際金融市場(国際為替市場)で交換された資金によっては、前者では「金」で測って交換されるよりも少ない貨幣又は商品が、後者ではより多くの貨幣又は商品が得られる。
(6ー1)式は資本ΔG の資金による評価がΔM であり、ΔM/ΔG は個々の企業の株価の変動を現すものと解釈することもできる。他方で(6−2)式を経済圏全体での総資金と総資本の関係と解釈すると、二つのA 、B 両経済圏における総資金と総資本の比 M/G ついての比は、
(MB/GB)/(MA/GA)
=(αB/αA)(hB/hA)(rA/rB)・・・・・・・・・(12)
となる。左辺の分母分子それぞれはそれぞれの経済圏での全体としての商品の価格に比例したものであろうから、株価の急激な変動と同じ様な急激な変動は困難であり、他の商品の価格の変動を越えては大幅に変化することができない。従って右辺のαの比とhの比の積 は株価の変動に対しては半固定的で、両者は反比例の関係にある。つまり利益率の下落は株価の下落であり、その国の通貨の国際為替相場における下落( h の比の上昇)となる。利益率の上昇は株価の上昇となり、通貨の上昇となっていく。この場合の h はもはや「金」に対する通貨の大きさを示す「金」の価格から、資本に対する利益率のバロメータに変質しているのである。
「金本位制」の経済圏では、その圏内での金属としての「金」の年間増加率と経済の拡大率が一致しない場合には(多くの場合がそうであるが)「金」と貨幣の交換比率 h を一定とする事ができないために破綻する。「金本位制」をとらないとしても他の経済圏との決算の手段の一つとして「金」が使われる場合に例え hB/hA が一定であったとしても、それは両国の資金の交換の場である国際為替市場での実際の交換比率には一致しない。これは通貨が商品の「共通の交換物」としての役割と生産に投下されたときに利益を生む「資本」としての役割の二つの役割を持つことの矛盾である。此の矛盾はそれぞれの経済圏の利益率に差があることの結果であり、此の矛盾(「商品の交換率」と「資金の交換率」が等しくないこと)は世界が単一の通貨圏となったとしても、個別の地域や産業による資本利益率の格差αB≠αA が存在する限り続く資本主義経済の避けることのできない矛盾の一つである。
資本論の中で(資本論第3巻、第9章 「一般利潤率(平均利益率)の形成と商品価値の生産価格への転化」)、マルクスは「剰余価値率=一定」の場合には、資本の有機的構成の異なる商品生産においては、本来は、それぞれの資本家に異なる利益率を与えるはずであるが、実際には、個々の商品は価値どうりに販売されるのではなく、利益率が等しくなるような、商品価格で販売されることを論じている。マルクスは、商品経済において、総ての資本に対して等しい利潤率(平均利益率)を与えるような価格決定の論理(不等価交換を強制する論理)が働いていると分析している。
此のマルクスの平均利潤率の理論は、平たく言えば、労働価値学説における「剰余価値率一定」と「利益率一定」が総ての個々の商品生産について成り立っているとすることの誤りの指摘であった。マルクスは個々の商品価値が実際の商品価格に転化する過程に、資本家相互の利潤の配分の問題が入り込む事を指摘したのである。商品に含まれる費用価格(固定資本の原価償却分や、賃金、材料代など)を越える剰余価値の配分をめぐっては、資本家内部の論理(同じ資本量に対しては同じ利潤が配分されること)が働くのである。此の剰余価値が総ての資本家にその資本量に比例した割合で配分されるように商品の生産価格がつけられる。即ち、商品の生産価格は費用価格プラス平均利潤である。
このように、一つ一つの商品価格で表されたものは、それぞれの商品価値に関係してはいるが完全に一致することはない。それが一致するのは社会全体での生産された価値の総量が価格の総量に等しいと言うことである。このことは一見しては商品交換の等価性の放棄であるかの様に見える。マルクスが資本論第一巻において出発点としたもの、商品交換の過程における等価交換の原理をマルクス自身によって否定したのではないかと見えるからである。商品交換の等価性を説明するために労働価値学説が生まれたのであるから等価交換が否定されるとすれば労働価値学説も否定されるのではないかと思われたのである。エンゲルスはこのような批判のあったことに対して「資本論第三巻への補遺」(1895)のなかで、商品価格の歴史的発展をたどり改めて事実に基づいて反論している。
マルクスは一見しては矛盾に見える資本主義社会の商品生産を分析して、新しい結論を得ていることを知らなければならない。それは総資本による総労働の搾取という現実であり、資本家の間での総利潤(利益)の配分の理論である。利潤率の平均化の結果として、総ての労働者は個々の企業の資本家によって搾取されているだけでなく、総ての資本家によって搾取されているという現実を明らかにしたことであった。別の面では、それは大企業による零細企業の収奪の実体であった。
マルクスの経済学が「商品の交換率」と「資金の交換率」の矛盾と”同質の矛盾”を、単一の経済圏での「商品の価値」と「商品の価格」の矛盾として説明していることがわかるであろう。異なる経済圏の間で商品の交換率」と「資金の交換率」の矛盾は購買力平価で見たそれぞれの通貨の比と為替レートが異なることに現れている。金融市場即ち、証券市場や外国為替市場においては、資本の論理によって現実の商品の実体からかけ離れた比率で資金が交換されているということは、きわめて矛盾に満ちたものである。